十月のプロムナード

現代遠征中のにゃんちょぎが、星降る夜と繁華街に紛れて、ふたり踊り明かす小話。

極×初です。



 誰も知らないことだが、令和の二十三区にも星は降る。一分の瑕疵もなく磨き抜かれた宝石、あるいは鮮やかな包装の飴玉めいた眩い星が、全天を覆い尽くして降り注いでいる。ビルの隙間に、庭園の湖面に、独りの家に、古い団地に、折り畳まれた高速道に、線路の上に、どこにでも流れている。人の目には見えていない、けれど無意識に知覚している。だからこそ、長義たち刀剣男士はそれに紛れ、人知れず降り立つことができるのだ。


***


 蛍光灯の白い光が網膜を焼いて、長義は思わず顔をしかめた。座標が多少狂ったようだ。人通りのない路地裏に合わせたつもりが屋内に出てしまった。改めて端末で現在地を確認すると、座標設定していた路地のすぐ横にあるディスカウントストアにいるらしかった。店内は混沌としていた。天井からはぬいぐるみが鈴なりになって垂れ下がり、そばの壁にはステッカーだのキーホルダーだの、おびただしい数のキャラクターグッズが隙間なく並んでいる。さらに奥の壁一面には、パック詰めされた女性用の衣装が、蜘蛛の巣やコウモリのモビールに縁取られて陳列されていた。どれも際どい丈のメイド服や警官服など、本物とは似ても似つかない「擬き」だ。簡単な仮装用だろう。

 バラエティグッズの階だろうと察せられた。目まぐるしい場所だが、これがこの店の「通常」らしい。そういう仕様なのだから仕方がないが、上品な空間とは思えず閉口する。長義の頭上を、調子のいい軽快な音楽が上滑りして流れていく。

 人の気配はなく、フロアには長義だけかと思ったが、仮装コーナーのさらに奥で白いのれんがおもむろに揺れた。向こうから出てきたのは、なんだか疲れた顔をした南泉だ。長義と目が合うと、妙に気まずそうに視線を逸らして肩を落とした。

「散々だにゃ……」

「陳列棚に頭でも突っ込んだのか」

「それはギリ回避したけど」

 へえ。

 申し訳程度ののれんは、天井付近から半分の高さまでかかっているだけで、見ようと思えば内部を窺うことができてしまう。やけに白く光る棚に整然と並んでいる箱やボトルがちらりと見えて、長義は鼻で笑ってしまった。

「あちらに用事があったかな?」

「別にここで買わんでもいいわ」

 南泉は、舌が受け付けないものを無理やり口に突っ込まれたような目をして睨んできた。長義もそれ以上からかうつもりはなく、乱れた前髪を耳にかけ直す。

「それなら結構。では行くぞ」

「おー……オシゴトの時間だにゃ」

「つまらない仕事だけどね」

「そう言うにゃ、戦だけが仕事じゃねえだろ……」

 エレベーターで一階に降りると、背の高い棚の隙間を縫うように人間がうろついている。木曜二十一時五十分。くたびれた体を引きずってカップ麺を物色している者や、パーティー用の菓子パックを買い物かごから溢れるほど放り込んでいる者が触れあうことなくすれ違って、店内は独特の異様さを生み出していた。

 腰に日本刀を差して歩く長義たちのことを、客も店員も、誰も見咎めない。認識阻害のシステムは正常に動作している。レジ横を素通りして外に出ると、ひやりとした秋の風が頬にまとわりついた。心地良い、とは言えない。どの店でもひっきりなしに回している空調の室外機が排出した空気と酒のにおいが混ざりあい、通り一帯はぬるまったくべたついていた。

「観測地点、こっち口だっけかぁ?」

「そうだよ。きみだって初めてでもなし、地図くらい頭に入れておいたらどうかな」

「わぁってるよ……迷うんだよ毎度」

 仮眠はとっているだろうに、南泉はあくびを噛み殺している。正直、長義も真剣に取り組んでいるとは言い難いので特に注意もしない。緊急事態となればちゃんとやるだろうという信頼もある。

 都内の繁華街は、空が闇に沈んだ深夜にこそ眩い。あるいは、都市ならどこも似たようなものか。雑居ビルの壁から無数に突き出した看板が、空と街の境目を縁取る。ビル上のLEDビジョン、ラブホテルの名前を浮かび上がらせるスポットライト、一斉に色を変える信号機と車のヘッドライト。原色の光が氾濫する街で、人間もまた溢れかえっている。店の前に固まって一本締めしている集団や、足元の覚束ない酔っぱらいを避けて、長義たちはすいすいと歩いた。傍目には、この時間でもネクタイひとつ弛めないサラリーマンと、明らかに堅気でなさそうな白ジャケットの二人組にでも見えていることだろう。……南泉のほうは、あまり内実と変わっていないかもしれないが。

 それでも、それらはただの隠れ蓑だ。時代に合わせ、人の目を眩ませるためだけのちゃちな仮装だ。

 長義と南泉の正体は、この夜の街には暴けない。

***

 つまらないとは言ったが、保守のための遠征は重要な任務だ。遡行軍の出現に関わらず、あるべき歴史が滞りなくあり続けていることの点検は常に必要であり、それはこの二〇〇〇年代初頭も同様だ。だから時折こうして、少数での遠征を命じられている。

 しかし、正直南泉とは組みたくなかった。認識阻害がかかってなお、目立ちすぎるのだ。

 まず、通りをなんの邪魔もなく抜けられた試しがない。ただの人間ならうまく避けられるものにいちいち引っかかる。

「あのさーお兄さん店どこ? ここウチの縄張りなんだけど」

「あん? 縄張りぃ……?」

 南泉よりも弱そうだがスーツだけはしっかりと着ている男に、十歩しないうちに突っかかられる。雰囲気が同業者に思わせるらしい。南泉にはそのつもりもないのだろうが、困惑して聞き返すさまがガンを飛ばしているようにも見える。この可愛い顔をした男、仮眠明けで目が開ききっていないだけなのだが。

 その点長義の認識阻害は完璧だ。近辺の店には用がない、ただ通り過ぎるだけの仕事帰りにしか見えていないだろう。南泉をスケープゴートにして無難にやり過ごせばいい――はずだった。

「お兄さんウチのが安心っすよ、初回サービスもあるんで」

「……不要だ、間に合っている」

 もう少し適当に受け流したつもりが、思いのほか低い声になった。

「はっ!? 違っ、」

 隣の南泉がぎょっとしてこちらの腕を引く。無遠慮な力で揺さぶられるのすら、いまは癇に障った。

「これオレのツレにゃ!」

「だからさぁ、ここはウチの」

「オレはキャッチじゃにゃいにゃー!」

「俺もこいつの客ではないな」

 こんな調子で、通りひとつ抜けるのも苦労する。大通りを使わなければいいのだが、それはそれでキャッチ以上に治安の悪い人間に引っかかりかねない。

「オイ認識阻害仕事してんのか?」

「見た目はね。滲み出る柄の悪さまでは如何ともしがたいかな」

「ニャアッ……!」

「おや、本望ではないのかな? 泣く子も黙る、恐るべき一文字一家の子猫としては」

「お前が子猫言うにゃ! 張っ倒すぞ」

「『お頭』には許しているのに俺には許さないのか、へえ」

「そこ不機嫌ポイントなのかよ!?」

 うるさいな、そのあたりは理屈じゃないんだよ。

 そうは言いたくないので黙殺した。ああそんなことよりさっきの猫殺しくんは見物だったな。

「……ふ、っくく」

 思い返しながらとっさに口許に手をやったが間に合わず、肩を揺らして笑う羽目になる。

「チンピラじみた成人男性の語尾が猫になっているのは、可愛いを通り越して異様かな」

 ただでさえ極めて抑えなくなったところ、焦ると三割増しで出るのは相変わらずだ。「刀剣男士・南泉一文字」なら存在ごと愛嬌だが、人間に擬態しているいまはどうだか。

「しょうがねえだろ、そういう仕様にゃ!」

「そうだったね。せいぜい人前ではその可愛い口を閉じたほうがよさそうだ」

「お前、もしかしてオレのこと本気で可愛いと思ってる……? おちょくってんじゃなくて……?」

「なにかな、その理解が及ばないものを見る目は」

 お前にドン引きされるのは心外だよ。


***


 傍目には、自分たちはどう映っているのだろう。

 この時代に馴染むための人間の姿を、長義たちは自分自身であっても見ることができない。それは質量のない影で、虚像で、仮装に過ぎないからだ。刀が人の形を得て、そこからさらに変化(へんげ)の布を被るとは奇妙な行為だと、いまさらながらに思う。

 見目はいいのだろう。他人に興味を持たない振舞いをすることが暗黙の了解になっている都会でも、時折はっと振り返られることがある。

 だから、ということではないが。

(変わりようがないのか)

 どんな姿でも、己がこの刀である限り、――かりそめの幻影の奥に、結局はただ一振り刀があるだけだ。

 人だかりを抜けても道は雑然としている。コンクリートは正体の分からない液体に濡れているが、誰も大して気にせずにその上を歩いている。道の端の植え込みには空き缶が転がり、飲み捨てられたプラスチックカップの蓋とストローが植え込みに突き刺さっている。無料案内所の看板は毒々しい蛍光色に光って主張しているが、客が入るところを見たことがない。

 人間なら留まっているだけで健康を害しそうな街だ。長義たちはいつも、本来通らなくてもなんら問題のないこの道を、わざわざ素通りしてまで歩いている。

「なぜなんだか」

「あん?」

 主語のない長義のひとりごとを、南泉はいつも、もののついでみたいに拾う。

「いや、なにも」

 長義は手をひらりと振ってそれをかわす。

「ああ、ちなみにさっきの話でいうと、きみのことはおちょくっているかな」

「こいつマジ……」

 南泉がジト目で文句をつけてくるのを長義は構わない。それで終わるのがいつも通りだ。

 しかしきょうの南泉はいつもと違った。ため息をひとつつくと、ポケットに手を突っ込んだまま足を止め、自分たちが歩いてきた後ろをゆったりと振り返った。

「なんかさあ、良くも悪くも『人間の活動の吹き溜まり』って感じだにゃあ」

「――……」

 思わず足が止まる。南泉の、柔らかな髪が跳ねる後頭部を見つめる。向こうでは、いま抜けてきた繁華街が原色に瞬いている。この辺りはもう店もなく、先程までの喧騒が嘘のように、時折車が通り過ぎるだけの静かな夜の佇まいをしている。

 長義から反応がないのを不審に思ったのか、南泉はすぐにこちらに向き直ると眉を顰めた。

「なんだよ」

「いや、……まあ、そうだな」

「なんだよ?」

「しつこいな」

 別に、たいしたことはなにもない。

 ただ――

(お前はときどき、なにも汲み取らないくせに、なぜか正確に言い当ててくるなと思っただけだよ)


***


 超高層ビルの屋上が今回の「現場」だ。持ち運びできる百葉箱のような見た目の観測機器を設置する。基本は放置でいいが、二二〇〇年代の機械にしてはアナログな技術に頼っている箇所が多いため、まれにエラーを起こして記録が滞る。観測は必要な時間ぶん淀みなく続けられなければならない。長義たちはエラー時の対応役として待機することになる。

 夜通しの仕事になるが、エラーの発生なんて一度あるかどうかだ。わざわざ本丸の刀剣男士が対応するような任務とも思えない、と長義はずっと思っていた。……きょうは、どうだろう。この仕事のほんとうの目的は別にあるのではないかと思い当たらなくもない。

(歴史を、或いは営みを観測するのは俺たちか、俺たちを使う人間か)

 紫がかった夜闇に沈むビルの四隅で赤色灯が明滅している。おびただしい数の光が整然とさざめくさまは、どこか有機的に見えた。

「遡行軍みてえだにゃ」

「あれに紛れられると厄介だな。警戒は怠るなよ」

 そうは言ったが、この時代で遡行軍が大規模に動き回ることはほとんどないとされている。記録に残りすぎるからとか、歴史にするには近すぎるからとかいろいろ言われているが、どれも確証はない。ただ事実として、この時代の遡行軍出現件数は少なかった。

 室外機や配管その他の設備がひしめく屋上には柵がなく、膝下の高さまで出っ張りが立ち上がっているだけだ。長義は観測器を離れてそれに足をかける。出っ張りの上に立つと、地上から吹きあがる風が前髪をばらばらと散らした。

 うにゃっ、と背後で猫が潰れたような声が上がる。

「落ちるとでも思ったかな」

「べつに思わねえけどさあ」

 それはそれとして危ねえだろ、と文句をつける南泉は、こちらに近寄ろうとしない。性分が猫だとか言う割に、バランス感覚に自信がないのか? まさか。

 もう南泉には構わず空を見上げた。不夜の光に照りつけられて温度の下がらない夜空が、おもむろに蠢く。

「――また始まる」

 長義が呟いたのと同時、誰の目にも留まらない星が、ひとつ、もうひとつと降りはじめた。

 それは断続的に降る。一分の瑕疵もなく磨き抜かれた宝石、あるいは鮮やかな包装の飴玉めいた眩い星。ビルの隙間に、庭園の湖面に、独りの家に、古い団地に、折り畳まれた高速道に、線路の上に、煌々と降り注ぐ様子がここからはよく見える。

「おー、綺麗だにゃ。これが見たかったのかあ?」

 南泉もようやく近寄ってきて、長義より一段下から天を仰いだ。振り返ると、まんまるくなった猫の目にぴかぴかと星が瞬いている。

 理屈のない、無邪気な眼差し。

「……これは結局なんなのかと思ってね」

「変な現象だよなあ。二二〇〇年代でも科学的に解明されてねぇんだろ?」

「この時代では発見もされていないよ。……存在を知らない者の目には見えないが、一度気づけば『ある』ものとして映る。未だファンタジーの領域だな」

「ふーん。オレたちみたいなもんか」

「なるほど?」

 南泉は単なる相槌のように言ったが、長義は目を見張る。近しいからこそあれを隠れ蓑にできるのか、自分たちは。

(いや、違うか)

 それで道理が通ったような錯覚に陥りそうになるが、ほんとうのところなど、いまは誰にも理解できない。その、わからなさのあわいを、長義たちは利用して、渡り歩いているだけだ。本来の在り方からは最早かけ離れて、たとえば仮装でたわぶるように、刀が人の身を得ることだ。

 気楽なものであるつもりはない。けれど永い時間の流れの果てに、矜持も言葉もかたちをなくしていくのだとして、それが取るに足らぬものではないのと同じくらい、うたかたでもあるのだろう。

 不安定な足場を降りないまま、くるりと回って南泉に向き直った。冷えた夜風がストール越しに背中を叩く。南泉は長義を見ている。空に流れる星をも背景にして立つ長義を、平坦な温度の眼差しで見上げている。

 へえ。いいのかな、その温度感で。そちらがそうなら合わせてあげよう。ただし俺のやり方で。

 長義はひとつ微笑んで、南泉に向けてゆるりと一礼して見せる。気軽に、しかし息を飲むくらい優美に。南泉がはっとして、長義から目を逸らせなくなったのを見て気分が良くなった。それでいいよ、お前は。

 そのまま手を差し伸べると、南泉の視線が、長義と手の間をうろうろと行き来する。

「にゃ、に」

「いい夜だ。俺と踊っていただけるかな」

 どうせ、なにもかも嘘みたいな夜なのだし。

 南泉は唖然として肩を落とす。

「……気障ぁ」

「作風は違うが、俺も長船の流れは汲んでいてね」

 まあ、格好をつけずとも俺は完璧だが。

 その後の南泉の反応は見物だった。胡散臭そうに深くため息をつく様は、仮にもダンスに誘われた側の態度とも思えない。長義も長義で、承諾を得る前に手を差し出しているのでおあいこということにしておく。

 南泉はすぐには頷かなかった。

「いいけど、まずそこからは降りろ」

 いなすような声。こういうときの、変に歳上ぶった態度はいつも気に食わない。だが、まあ、踊るのなら目線は合わせなくてはね。

「はいはい。これでいいかな」

「ん」

 それでようやく、手が重ねられる。

 大して広くもない空間を縫うように、長義たちは踊った。回る度、視界の端にビルと星が混ざりあって眩く光る。長義から誘ったものの、リードの役割は定まらなかった。最初こそ形式通りにステップを踏んでいたが、だんだん速くなり、手を引っ張るようにして、互いの動きにどうにか合わせるようなめちゃくちゃなものに変わっていく。それでも楽しかった。南泉も、文句をつけたり噴きだしたり、目まぐるしく表情を変えながら飄々と踊っていた。

 踊ろう、なんてふざけた提案をしたのは初めてだが、こんな南泉を見たのも初めてだ。

「きょうは与えたがりの日かぁ?」

「俺は常に与えているよ」

「へいへい」

 室外機の音にかき消されるから、言葉を交わそうとすると相当密着しなければならない。そういう意味では都合のいい距離感だ。そのうち言葉もいらなくなる。

 夜を徹して踊ろう。真実で仮初のいまを、隣で遊ぶのはお前だから。落ちる日、あるいは夜の終わりを、お前と眺める時間は悪くないから。

 歴史の中に生があること、お前と五百年眺めてきた。

 すべからく生の上に星が降ることも、お前と分かち合っている。いま、こうして。

 白いジャケットを翻しながら、南泉は唇を尖らせる。

「もっかい」

「うん?」

「さっきの誘い文句、背中がかゆくて仕方ねえにゃ」

「なんだ、注文が多いな」

 だが、求められれば与えてやるのも山姥切長義の務めか。長義はすこし考えて、とびきり映える口説き文句を甘く囁いた。

「俺の足は踏むなよ、猫殺しくん」

 南泉がぱちぱちと瞬きをする、その睫毛の先にも星が煌めく。

「踏むかばーか」

 にゃん。

 いまは長義が腰を抱く側。からだが触れ合う近さで、南泉もまた、甘ったるく牙を見せて笑った。

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