ここから先はトゥルーエンド

骨董綺譚直後、行ってしまったDFの背中を追いたかったあんずと、彼女を引き留めたValkyrieの話。CPなし、あんず視点。

SS決勝戦前に書いた話でしたが、1.5部を経るとなんか……意味合いが違って見えて……



「おやすみ、さよなら――『プロデューサー』さん」

 追いかけなければ終わってしまうかもしれない。「今、ここだ」と、頭の隅の悟った私が静かに告げた。今すぐ動けば、すこしは運命を変えられるかもしれません。氷鷹さんの言葉が、カリカリと心を引っ掻いて痛みだした。

 はじめから確かなものなんてなにもなかった。分かっていたはずなのに、無意識に当たり前だと思っていた。こんな激変を想像できていなかった。どうしてって、なりふり構わず泣きたいような気がする。怒りだろうか。かなしいんだろうか。けれど『プロデューサー』と呼ばれた私は、役割に縫いつけられて、能面のような顔で黙りこくることしかできない。

 このままでは行ってしまう。三毛縞先輩もこはくくんも、境界線の向こうへ――かきたてられた焦りのままに、腕と指先が伸びた。深夜零時過ぎ、踏み出す足はもう疲れきっていて、まごまごと縺れてしまう。油が切れて錆びついたように、骨まで軋んで引き攣れた。

「やめなさい」

 くんっ、と、背中を糸で引くみたいに呼び止められる。深く、静かな声。振り返ると、いつの間にか斎宮先輩が機材の物陰に佇んでいた。お師さん、と影片くんが声を上げる。影片くんは、私より五歩だけ先輩に近いところで、途方に暮れて立ち尽くしていた。

――『Double Face』の気配はもうない。眩しいステージ上から人の声がするようだけれど、いまいる袖からは見えない。直視すれば熱さで目を焼くようなところにまで、駆け上がっていってしまった。

 斎宮先輩は、影片くんと私が動かないのを見て、舌打ちのように息を吐いた。

「まったく、随分遅いと思って来てみれば……用事は済んだのかね、影片」

「んあっ、えっと、うん……?」

「はっきりしないね。すべきことがもうないのなら、さっさとこちらに戻ってきたまえ」

 諭された影片くんは、ちょっとの間ステージのほうを気にしながら、やがて光に背を向けて、斎宮先輩の傍に歩み寄る。後ろ髪を引かれて、けれどちゃんと「お師さん」のところへ、手を繋げる距離まで戻った。先輩がほっと息をつく。けれど動けないままの私にすぐ気づいて、眉間に刻まれた皺がキュ、と増えた。斎宮先輩は、人を心配しているときほど不機嫌そうになる。

 先輩は、重々しく苦しそうに、低く呟いた。

「あんず、君もだよ」

 ああ、優しい先輩に懇願させてしまった。

 どうしよう、ごめんなさい。親を本気で心配させた子供の心地で、血が出そうなくらい強く唇を噛んだ。

 影片くんが不安のままに言いつのる。

「でも、お師さん、こはくくんが……」

「いけないよ。僕達はここまでだ」

 斎宮先輩は首を振る。厳然として、けれど真摯に。

 影片、君はライブ中に聞いていたね。先輩は、私と影片くんに、丁寧に言い含めてくれる。

「曲目も衣装も、すべてを作り直せはしなかったけれど。僕は『骨董市』での物語を、ほんの僅か、屈託を溶かすよう書き換えたのだよ」

 それは芸術を、世界を、創る者が持ち得る力。

 語り部、紡ぎ手、芸術家のみが扱える武器。

「他でもない、僕達『Valkyrie』が描いたんだ。ならば然り、物語は成るだろう。……僕達も、いつかこの先の彼等もね」

 斎宮先輩はようやく、少しだけ眦を和らげた。自嘲や敬虔な自戒の中に、培ってきた自信が滲む。

「ハッピーエンドなど、どこで終わらせたかに過ぎないとは言うけれどね……それでも、御伽噺とはそういうものだ」

 どうか、この先歩む道に、眩い星が降るように。

 祈りを込めて。希望を懸けて。福音となるように。後の「あなた」に届けるために。

 親と子が一緒に読む童話。独りの夜、本棚から引っぱりだして見つける絵本。不思議で珍奇で美しい物語が、世界には数多ある。

 だから、えがかずにはいられない。

「語る機会もなく、棄てられる日を待つばかりの物に意味を与える。磨き、仕立てて見せびらかす……芸術は、いつか『Double Face』ごと現実を呑み込むだろう。価値あるものを天国へと運ぶ――僕達の使命は、悲願は、その日にこそ果たされる」

 高笑いする僕達を見上げたあの男がどんな顔をするか、いまから見物だね。斎宮先輩はちょっと意地悪く、冗談めかして付け加えた。

「『めでたしめでたし』の後を、僕達は追えないだろう。けれどそこは決して、無なる断崖絶壁などではないよ」

 なんであろうと人生は続く。だから私達は「ここ」にいる。

「帰ろう。明日からまた戦う為に。……新たな物語を、僕達と紡ぐ為に」

 小娘、と呼ばれた。固まったままだった身体が、ギシリと音を立てて動きを取り戻す。呼吸も脈動も、いまの瞬間まで止まっていたみたい。

「君は、どうするのかね」

 私は。私は、どうしたい?

 胸の内の答えを探す。俯いた先に足元がある。長く遠く、引き伸ばされた影が落ちている。

「……大丈夫やで、お師さん」

 影片くんが声を上げた。さっきまで泣きそうな顔だったのが、もう迷いなく、それでいて慈しむみたいに笑んでいる。気づいてないかもしれないけれど、こういうときのふたりは表情が似通う。志を共有しているから。こんなに違うふたりなのに、同じ方向を見据えようとしているから。

「おれは、こはくくんたちのやってること、ほんまにアイドルとして正解やろかとか……そういうの、『こう』って言いきれへんけど」

 でも、おれにも分かることはあるよ。

 影片くんはゆっくりと首を振る。

 ハッピーエンドの先でも、物語の外側でも、薄汚いゴミ捨て場でも、視界がどんなに昏くても。

「おれは離れへんよ」

 心臓を撃ち抜くような一言。思わず胸を抑える。影片くんはときどき隕石みたいだ。もの凄い速度で、燃えて、墜ちる。一心不乱に、どんな抵抗も突き破って、私達の瞳に届く。

 離れへんって、影片くんが繰り返す。曇りのない眼で。

「ここにおる人のこと、置いていったりせぇへんよ。地獄の果てまで一緒やもん。とっくの昔に、最初っから、おれはそう決めてる」

「……知っているよ、君自身よりもずっとね」

 斎宮先輩は大真面目に頷いたけれど、影片くんは「えぇ……」と唇を尖らせた。

「せやからそういうとこやって。おれの思ってることぜんぶは、お師さんがどんなに賢くて凄い人でも分からへんやん」

「む……まあ、舌の根も乾かぬうちに、君を僕の尺度で解釈するわけにはいかないね」

 ともあれ、それで? 促された影片くんは、神妙な顔になって言葉を選びはじめた。

「んっとな。こはくくんも、おれと同じなんやないかって思うんよ」

「ほう。同じ?」

「うん。だってこはくくんは――行ってもうたもん。三毛縞先輩と一緒に」

 色の違う双眸が細められる。私の後ろのステージを、眩しく見上げながら微笑んでいる。

「簡単に捨てて、纏めてゴミの日に出して視界から消して。『なかったこと』にしてまえる人間のほうが、今の世界の『普通』なんやろけど」

 照明を反射した宝石の瞳が暗がりでチカリと光る。臓腑のどこかを、不協和音みたいな畏怖が撫でる感覚があった。ぞわぞわして、不穏で、落ち着かない。

 影片くんは私に構わずうっとりと呟く。なんや嬉しくなってまう。

「こはくくんはそうせんのやね。捨てられたもん、拾って、見てくれるんやね」

「……影片」

 斎宮先輩の咎める声。影片くんは肩をきゅっと縮こまらせた。「んぁっ、友達と先輩が危ないことしてるんは普通に心配やで?」と付け加えながら、「でも」と口を尖らせる。でも、こはくくんは行ってもうたから。

「三毛縞先輩がどこにおっても、見えとるから、いないことにせぇへんかったんやなあって思ったんよ」

 それは、なんかなぁ、ちょっと嬉しいねん。

 正しいか、危なくないか、普通のことかはともかくとして。『みか兄ィ』は、そんなことせんでええって、止めたくなってまうけど。

「おれの知らんとこで、こはくくんもおんなじように戦っとるんよ。……おれなんかよりずぅっと頭の良ぇ子やし、『Crazy:B』も『Double Face』も、なんや物騒な『ユニット』やけど」

――対等なアイドルで友達の桜河こはくは、影片みかの最初の同志や。

 いまここにいない子に、歌いかけているような。そんな影片くんをじっと見つめていた斎宮先輩が、僅かに首を傾げて呟く。

「……君と桜河はまったく違うと思うがね」

 あっさりと言い放った先輩を振り返って、影片くんは頬を膨らませた。

「んあっ、そんなん分かってます! お師さんはほんまにこはくくんのこと大好きやねえ?」

「会話が噛み合っていないよ。君達の人間性や価値観の差異と、僕からの好感度には相関性がないだろう」

「そうやけど、そうやなくて~……」

「というか、君の対等なパートナーは僕なのだけれど? この斎宮宗では不満とでも言うのかね」

「んあぁ、不満とか思ってるわけあらへんやん、おれは絶対にお師さんが良ぇのに。いけずやわあ」

 こんな暗黒の淵みたいな場所でも、『Valkyrie』は変わらない。変わらないな、と分かるくらい関わらせてもらえた。……『Valkyrie』だけじゃない。夢ノ咲で、どれだけ多くの瞬きを見上げてきただろう。『Eden』や『Crazy:B』、『ALCALOID』のことだって、これからもっと踏み込んで知っていきたい。

――貴方のことだって。

「まあ……そうだね。当人すら『ない』ことにしようとしたものを、君達は眼前まで持ち上げて、突きつけてくるのだよね」

 ひとりごとめいた斎宮先輩の眼差しは優しい。

「如何な天才や怪物も、君達の手によって崖際に縛められる。顔を背けることもできない。……恐ろしいことだよ」

 そうして縛められている限り、僕達はアイドルだ。

 先輩の言葉を聞いていたのかどうか。影片くんは一歩だけ、私の側に戻ってきた。

「『プロデューサー』」

 無邪気な手が差し伸べられる。堅苦しい肩書を、同級生の気安さで呼んでくる。それなのに、なんだか変な具合だった。この手が、今日いちばん恐ろしい誘いに思える。氷鷹さんより、三毛縞先輩より、いま、影片くんが怖い。

「一緒に行こ」

 この手を取ったら、引きずり込まれる。そのまま戻れなくなって、私の世界は一変するだろう。歴史より物語より真実を、見つめることになるだろう。

 冬には『SS』が始まる。今は長すぎる夜明け前。これが正しい選択かなんて、視界が暗すぎて分からない。

 それでも、行く?

 琥珀と瑠璃の瞳を見つめて、三毛縞先輩のかなしくて寂しい眼差しを思い返して。それで、腹が決まる。

 私は私の道を使って、私の地獄に踏み込もう。『Double Face』とも『Valkyrie』とも、ほかのどのアイドルとも違うかもしれない、けれど彼らを見失わない、同じ方向に進める道。

 だって、同じ側にいたい。アイドルを知らなかった私ではいられない。世界はもう変わっている――夢ノ咲学院で、『Trickstar』に出逢った日から。

 星の輝きを目印にして、同じ夜を戦いたい。

 私はアイドルの『プロデューサー』だ。



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