ブルーブラックの線でできてる
薬さに
審神者が書き留めた、薬研藤四郎とのこと。……という設定の、エッセイ風味SS集。
イレギュラー
人間ごっこをやることになったのも、己が意思で動いて為すことを許されたのも、主と言葉を交わせるようになったのも、その主に懸想されてしまったのも、なにもかも、正直誤算だった、と言う。
六道すべてをさらっても、この瞬間のほかには見当たらないような。そんな、イレギュラーだったのだと。
チリも積もれば因果さえ転がるんだよ。
「なにせ俺には後がない。
『イレギュラー』が、最初で最後だ」
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取扱注意
恥ずかしながら、家事全般があまり得意ではない。本丸に来てしばらくは、おかずひとつ、清光よりまともに作れなくて落ち込んでいた。掃除や洗濯の手際も、清光のほうが飲み込みが早くて、教わってばかりだった。
当時に比べれば、まだましになったと思う。刀も増えて、家事分担するようになったから、私がなんでもできるようにならなくてもよくなったけれど。
実は、いまでも包丁を持つと腰が引ける。重心の置きどころが分からなくて、ずしりとして、不用意に指を切ってしまわないかと身体が怯えるのだ。
当たり前に料理をする人からすれば笑い種だろう。普通に使っていれば切らないよ、と何度も言われたことがある。毎日のように持っていれば、手の延長線のように慣れるものかしら。
「なら、刀には慣れたか?」
うすらと笑う、墨のような艶色の声が首元に絡んだ。すぅ、と尾てい骨のあたりから、冷たくて、ざわざわしたものが駆けのぼる感覚。
薬研が、二人羽織りみたいに後から抱き込んで、あれやこれやと世話を焼いてくるものだから、及び腰の逃げ場もない。
私の手には、本体――薬研通、それそのものが握らされた。
握ってみてくれと、ねだられた。鞘からは抜かないまま。厳重に守られたまま。手入のときは、鞘どころか拵すべてばらばらにして、抜き身の刃を掲げ持つのに。
何度も、何百回も、そんなことをしてきたのに。
万一にもけがなんてしない、これは安全な物だと、理解している。
でも、びりっとした。
目の前にあるのは。いま、私が握っている物は、鋏よりカッターより包丁より澄んだ、刃物だ、と。
柄を握り込める指から伝って、取り落とすまいと気を張っている脳髄まで、思い知らされた。
背中に密着している薬研と、私と、私が持つ短刀が、ひとつの線で結ばれたような心地さえした。ああ、私はこの刀を持って――この刀を以て、敵を、殺している。殺して、自分の命を守っている。
私の手の延長線上に、この刃がある。
「きっと大将が呼びかければ、あんたに握られたいと思う奴らが列をなすだろうな」
だから、これはナイショの遊びだ。
薬研はときどき、急に子供っぽいことを言う。腹の底が浮くような心地までは、それで拭い去れるものではなかったけれど。
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花一輪
遠征から戻った部隊長が、花を一輪二輪、差し出してくれることがある。花木は外の一角に置き場を設けている。そこから枝ぶりの良い部分を手折って、報告のときに持ってきてくれるのだ。贈るほうも受け取るほうも照れくさくて、笑ってしまう。
山茶花を、最初に贈ってくれたのは薬研だった。
本丸紋の意匠になっている花だ。私も、たぶん男士たちも、なんとなく頭の隅で特別に思っている。
「太鼓鐘が気を回してくれてな。持って行ってやったら大将が喜ぶからって」
「そういうことは言わなくてよかったんじゃないかなあ」
「はは、悪い。……いいね、この任務。ずっとこの花でもいい」
贈ってくれた側のほうが嬉しそうにしている。
「集めながら、ああ『これ』は本丸だ、大将だと思えた」
胸元で持たされた花一輪。控えめな薄紅色に注がれる眼差しには、甘い喜色がまぶしてある。……これはちょっと、ぐらっと来てしまうでしょう。
「景趣の完成が楽しみだな」
まだ一輪めだというのに、浮き足立つ薬研の気は早い。
「きっと良い景色だよ。本丸のなかでも、いっとう綺麗だろう」
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せっけんと秘めごと
朝ぼらけの色をしたせっけんを使いはじめた。
大浴場のシャンプーなどは経費で揃えている。こだわりがある場合は自分のお金で買うこと。大浴場に放置せず、個人で管理すること。本丸内ルールのひとつに、主である私も倣った。
片手に余る程度の、小さな石板みたいなせっけんだ。浅紫色から、灰がかった生成色へのグラデーション。「やうやう白くなりゆく山際」という言葉が思い出されるような色彩。
まあ、つまり、夜明けに見る薬研の、眼差しの色をしている。
とは、誰にも言っていないけれど。ひっそり持ち込んで、色と香りを堪能して、持ち帰る。とろりと甘く、それでいて、薬草めいた花の気配も混ざる香りが、布団のなかまで私に纏う。
これは私だけの「お楽しみ」だった。……だから、当の薬研に見つかったのは、完全に事故だ。
「なるほど、石鹼を変えたのか。違う匂いがすると思っていた」
ふんふんと、耳元に鼻先を近づけながら。薬研は石鹼を指の腹で撫ぜた。せっけんを胸元で握ったまま固まった私の手ごと、泡が触れるみたいに包み込んで。
「……後で、俺も一緒に使っていいか」
それは、急に決まった共寝の予定のお伺い。
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無常のもの
手紙を読んで『雪国』を読もうと思い立った。この歳まで手に取らずに来てしまっていたから、冒頭の先を、知りたいと思って。二二〇五年にも変わらず残っている古典だ。本丸の図書室でも閲覧可能なのは分かっていたけれど、せっかくなら、文机の上に置いておきたかった。
城下に下りるときの御伴は、薬研にお願いした。
「文字通り、よろず揃っているしな。万屋なら、本も置いてるだろ」
「本は本屋さんで見るよ」
そういうもんか、と薬研はあっさり頷いて、私の寄り道についてきてくれた。
城下町いちばんの書店に入って、あの濃紺の背表紙が上品な文庫本の棚をざっと眺めて―――一冊もささっていないことに、勝手に愕然とした。
二二〇五年から見れば、もう近代とも言えないくらい昔の小説だ。流行りの本、売れ筋の本、人手に渡りやすい本に、棚の場所をあけわたすのは、至極当然のことだろう。……時の政府管轄の大型書店という性質上、当たり障りのない、情報源にならないような書物しか売っていない、とはいえ。
やっぱり万屋じゃないと買えないのか、と肩を落とした私に、薬研が助け舟を出してくれた。
「もう一軒、回ってみるか」
大通りから小路をふたつ入ったところに、小さくてごみごみとした古書店があるのだという。
「『昔』の文献なら、そっちに当たったほうが都合がいいこともあってな。たまに世話になる」
「小説が置いてあるタイプの古書店?」
「なんでも置いてるよ。店主が節操ないもんだから」
「仲いいんだ」
「会計のときに話すくらいかな」
城下町は、大通りから一本脇に逸れただけで、あやかしたちが闊歩するようになる。薬研は私の手を引きながら「大将はひとりで行こうとするなよ」と念を押してきた。そもそも、本丸の外に出るときに、御伴のいないことがないのだけれど。
全体的に歪んで、傾いでいる建物だった。節操ない、という言葉のとおり、本は棚の中と外と言わず並び、積み上げられ、棚の上にまで本が倒れていた。触るのも躊躇うほど埃まみれの上製本も転がっていた。
本の重さに耐えかねて、床ごと沈んでいるんじゃないか。そう思うくらい、くっちゃりとした、小さな店。どこが通路かもよく分からなかった。
薬研は慣れていた。「邪魔するぜ」と奥に声をかけながら、積み上がった本を崩すことなく、私を先導してくれた。私は何度か崩しては戻した。
「近代の小説なら、このへんじゃないか」
レジ(?)が見えるか見えないかのあたり。壁一面の前に連れてこられて、知ったタイトルがようやくいくつか目に入った。ほとんど背焼けしていたけれど、すこし息をつけた。
「ゆっくり探してくれ。目の届くところにいる」
薬研は、私には内容の分からない専門書らしきものを見つけて、目を通していた。
斜陽が店内にまで差し込んで、本の息づかいのように立ちのぼる塵を、チカリと照らしていた。薬研の、ページを繰る黒い手元も、革手袋の滑らかな艶を照り返した。指先と紙が擦れる乾いた音だけが、際立って耳を打った。
自覚していたより、じっと見惚れてしまっていたらしい。一度だけ、薬研が目を上げてこちらを見た。我に返って視線が泳いだ私を、ふ、と笑う、かんばせ。……ああいうのには、いつまでも慣れない。宗教画を前にしているみたいだった。
壁一面を、天井から床までたっぷり三周して、ようやく『雪国』を見つけた。背表紙は、ほとんど淡い水色になっていた。
私は『雪国』を、薬研も掘り出した本を小脇に抱えて店を出た。なんだか去りがたくて、崩れかけた建物を振り返って、しばらく見上げていた。
人ともガマガエルともつかない風体の店主が「ここは今月で閉めるよ」とだみ声で教えてくれた。
「売れ残りはどうするんだ。この土地は」と薬研が訊いた。
「さて。譲り手があるか、この店が役目の終の場所か……なるようになっていくだろうね」
古くなった物とは、土地とは、そういうものだ。
店主の言葉は、審神者である私には、くさびのように思えた。
「良い店だったよ。一度でも大将を連れてこられてよかった」
歴代の主たちを思うのにも似た声の色をして、薬研はしみじみと言った。
私は無意識に『雪国』を胸に抱き込んでいた。薬研はそれを、目敏く見つけた。
「……お前、役得だな」
僅かに悋気を滲ませて、冷たく言い放ってみせた薬研は、ちょっともの珍しい。だから、右手はもういちど薬研にあげた。
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主役になりそうもないひと
「俺じゃだめか?」も
「大将が幸せならそれでいい」も
「大将のことはいつも見てるしな。大抵のことなら分かる」も
たぶん、あのひとは言えてしまう
遠慮でも卑下でもなんでもなく
それで損なわれるひとでもないのだろう
そういうやつだから幸せを願ってしまうんだよ
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こころおぼえ
「それで? あんたは『薬研藤四郎』の物語をどう使う?」
戯れめいて、問われたことがある。未だ、答えに至らない。
「俺を幸せにしたいと、可愛いことを言ってくれるなよ、大将」
温度の低い浅紫の瞳におかしげな色が浮かぶと、いつも、なにも言えなくなる。他愛のない、だからこそ命懸けの喧嘩なんて、この短刀はしてくれない。
「いや、前に言ったか。こっちは充分幸せだってのに、まだ俺をどうにかしたいって言うなら付き合ってやる……って」
くつくつと笑ったかと思えば、ふっと、心からなにかを祈るような面持ちをする。「ただひとつ。忘れるなよ、たいしょ」どうか、これだけは覚えていてくれよ、と、言う。
形振り構わず願っていることが俺にもある。この力すべてを注ぎ込んでなお足りないならば、天にでも魔王にでも乞うたっていい。それくらい必死に、情けないほどに、願うことがある。
「俺の幸いは、大将が生きて、幸いであることだ」
願いは、祈りは、守るべき歴史に語られぬことだとしても。
俺は、それを愛おしむのだ、と。
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綴り――spell
Yagen Toushirou
YagenToushirou
Yagentoushirou
筆記体にあこがれはあったけれど、不格好にしか書けなくて早々に諦めてしまった。だから、ここに並べたローマ字は、子供の手習いじみた拙い活字体。
日本刀のアルファベット表記に思いをはせるのもおもしろい話ではある。個人的にはやっぱり、号と銘それぞれの頭を大文字にする表記がいい。号は、特別な逸話を表すもの。名づけた人の思いが宿るもの。銘は、根幹。「まもる」という意思に紐づいた源泉。そのどちらも立てたくなってしまう。
「やげん、とうしろう」
誰もいないと思って、ひっそりと音に乗せて味わった。
「呼んだか、大将」
いないはずだったのに、当のほんにんが、ひょいと顔を覗かせた。慌ててノートを閉じたが遅く、薬研はにまあ、と笑った。
「詠んだな」
名を呼ぶこと。刻み、綴ることは、まじないをかけること。
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残花
ひときわ強く吹いた風が山を鳴らした。今年最後の花片が、障子を開け放した部屋のなかまで吹き込んできた。桜の樹々は、既に葉を繁らせつつある。それでもいま一度だけ、と言わんばかりのあたたかな息吹は、優しい薄紅色をしていた。花片は畳の上を撫でながら、巻き上がって、はらはらと沈んだ。
目を奪われた。誉桜のオーラに焦がれるみたいに。
「大将、邪魔するぜ」
そこに飛んできたのはつばめ――に色が似ている懐刀。
「調子はどうだい」
縁側にも部屋にも散らばっている桜を、薬研は避けるでもなく歩く。春は恒例、本丸じゅう花まみれになるものだから。
薬研が歩を進めるたびに、その足元で花弁が舞い上がって、ふわりと華やいだ。やっぱり、誉桜めいている。
「そろそろ昼餉にしないか。厨長殿から、良い惣菜を賜ってな」
「――うん」
私も席を立つ。花の上を歩いて、足元を染める。
昨年も、今年も。私たちに構わず春は過ぎゆく。
けれど、刀剣男士の身には、常に桜の名残があるものらしい。
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万年筆で文字を書く。つれづれに書き留める。淡い色の紙を走る字が、ぽつりぽつりと載っていく。線は縫い糸のようだ。読点は切りっぱなしの端、句点は玉結び。
墨溜まりはなにかに似ている。ああ、あの、粟田口揃いの制服のジャケット。たとえば縫い目にほつれがあったとして、そこから一本引き抜いたら、ちょうどこんな色だろう。
刀剣男士とは、物語の付喪神だという。
それなら刀剣男士は、鋼と霊力のみで出来ているのではない。
声で、歌で、墨で、ペンで。それから、もっとたくさんの、確かな知恵とあらゆる手段で。
連綿と、糸のような線を、紡いで、綴ってきた「人」で出来ている。
私が握るペンの先にも、きっと薬研藤四郎は在る。
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ジャケットの背から糸引く物語は
ブルーブラックの線でできてる
2021年4月11日発行
このときのイベント副題が「残花」で、どうしても残花をタイトルにした一編を入れたくて入れました。
「問わず語りのような本」です。とうらぶなら万年筆より筆と墨かなあと思いつつ、なにかを「書く」ためのアイテムは万年筆で、そして万年筆といえばブルーブラックのインク、という自分にとってのイメージ先行で作りました。中身も装丁もぜんぶひっくるめてすごく大事な一冊です。
海の写真は友人のetさんに撮ってもらいました。
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